<メンタム、薬品>

 現在、「メンソレータム」はロート製薬、「メンターム」は近江兄弟社が製造しています。しかし、かつて、「メンソレータム」でもなく「メンターム」でもない、「メンタム」という名前が一般商品名として使われ、多くの薬品会社が製造・販売していた時期がありました。「メンソレータム」小史を書いて、その事情を解説しましょう。
 「メンソレータム」は、1894年にアメリカのメンソレータム社が開発した商品です。メンソール(Menthol)とワセリン(ペトロレータム:Petrolatum)から製造したことに由来して名づけられました。日本には、キリスト教の布教のため来日し、滋賀県近江八幡の八幡商業で英語教師をしていたウィリアム・メレル・ヴォーリズによって伝えられました。ヴォーリズは、1920年に近江セールズ社(現、近江兄弟社)を設立しアメリカから輸入販売を開始、1931年には八幡工場で国産化しました。
 「メンソレータム」は、戦前は日本だけでなく朝鮮、満州、台湾まで販路がひろがり、戦後も家庭常備薬として全国で愛用されましたが、このころ(戦前・戦後)に多くの類似商品の「メンタム」が出現したと思われます。
 なお、ヴォーリズは後年、建築家としても活躍し、関西学院大学、大丸心斎橋店、山の上ホテルなどを設計したことはつとに有名です。筆者の父は近江八幡出身で、祖父はごく短期間、近江八幡郵便局の局長をしていましたが、この八幡郵便局の建物(現存)もヴォーリズの設計。そういった事情もあって、祖父や曾祖父はヴォーリズと多少の交友があったようです。
 ヴォーリズは1964年に亡くなりました。近江兄弟社は1974年に倒産し、ロート製薬が「メンソレータム」を製造する事になりました。一方の近江兄弟社もその後再建を果たし、「メンターム」の名称で(類似名のメンタムがすでに出まわっていたので、そんな名前を付けられたのでしょう)生産再開することになり、現在に至ります。
 胃腸薬の「正露丸」(元の名称は征露丸)も、ちょうど同じような状況だったと推測します。正露丸は、今でも一番有名な大幸薬品製のほか、ラッパのマーク(大幸薬品)でない正露丸も多数存在します。しかし、今では「メンタム」はなくなり、「メンソレータム」と「メンターム」だけになりました。
 ここに掲載するのは、当社が1980年以前に製造していたメンタムや、その他の色々な薬品の小容器の印刷デザインの銅板です。日本の薬品産業史の一断面の記録になれば幸いです。(text=t.kita)

「メンタム」(奈良) 「ダイワメンタム」 「ローズメンタム」
     
「モリタメンタム」(佐賀) 「クミアイメンタム」(東京) 「佐賀メンタム」(佐賀)
     
「フラシンメンタム」(富山) 「メンタム」(富山) 「ハイキングメンタム」(岡山)
     
「メンタム」(東京) 「大光メンタム」(富山) 「つくしメンターム」(東京)
     
「エビオス」 「仁丹」 「キンチョー上山」
     
「モナフラシン軟膏」 「モナフラシン軟膏」 「メルシン」
     
「全快膏」 「アース」 「イソラ歯磨」
     
「カトウ芳香胃散」 「オーナ」

「ハウト」


   
「ネオリキシン」 「菊日本BHC」 「月虎BHC」
     
「ネオセイキン」 「ポプラー」 「ポプラー」
     
<2010年12月17日出展>  
「保壽円」