●▲■ きた産業 メルマガ・ニューズ vol.207 ●▲■
発行日:2015年5月22日(金)
■アルコール飲料産業のためのクロスオーバー情報■

発行:きた産業株式会社 http://www.kitasangyo.com

 

------------------< 目 次 >------------------

 

●▲■ アメリカに於けるサケ醸造の歴史(その2) ●▲■

  ●■100年スパンでは、アメリカのサケ輸入は大幅減
●■日本のサリチル酸使用がアメリカでサケ醸造所設立を後押し?
●■禁酒法後と第二次大戦後のサケ醸造所

 

                 text = Richard Auffrey

 

ご紹介情報●1▲「海外における清酒・焼酎生産の100年の歴史」
ご紹介情報●2▲「サンフランシスコ・サケ事情」
ご紹介情報●3▲「世界にはこんなサケ(清酒)もある!」

 

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リチャード・オウフレイ氏が2015年4月21日にブログ上に発表した 
「An Expanded History of Sake Brewing in the U.S.」の和訳を2回に分けて紹介
するメルマガの後編。
前号では、日本で知られていなかったと思われる事実、「高峰譲吉のシカゴ・サケ醸
造所計画」や「アメリカ初のサケ醸造所はハワイのホノルル日本酒醸造ではなくCA州
バークレーのジャパン・ブリューイング社」、などの内容だった。今回は「1900年代
から戦後にかけてのハワイやカリフォルニアのサケ醸造所事情」で、やはり今まで日
本で知られていないと思われる情報を多く含んでいる。

 

 

 

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●▲■ ●▲■ ●▲■ ハワイ初のサケ醸造所、ホノルル日本酒醸造会社

 

話をカリフォルニアからハワイを移そう。1899年、広島出身の住田多次郎が16歳でハ
ワイに移民してきた。彼は1904年には雑貨店を営むようになる。その後、自分でサケ
を造れば価格を下げられると思いたって、サケ醸造所開業を決心する。カリフォルニ
アでのサケ造りがすでに成功していること(訳注:前号記載のジャパン・ブリューイ
ング社、1901年設立)を知っていて、ハワイでも可能だと考えた。
1908年、Honolulu Japanese Sake Brewery Co.(ホノルル日本酒醸造会社)を、
パウオア・バレー(訳者注:ホノルル市街から山方向に向かう道沿い)に設立する。
定款の扱い品目にはサケのほか、醤油、味噌、さらに製氷も記載していた。これら
サケ以外の品目が、禁酒法時代と第二次世界大戦のあいだ、この会社を支えること
になる。

 

この頃、年間50万ケースのサケがハワイに輸入されていた。1900年以降、ハワイのサ
ケ年間輸入は金額で15万~20万ドルである。この時期、ハワイに居住する日本人は7
万~9万人にすぎなかったことは注目すべきだ。2013年、アメリカ全体のサケ輸入は
51万6,000ケースに過ぎない。
サケ輸入は近年増加基調でサケ飲酒人口も増えているが、100年のスパンで見ると、
アメリカのサケの輸入は大幅に減少したというべきかもしれない。

 

ハワイの暑さは当然サケの醗酵工程に悪影響を及ぼす。なんとか1908年12月の醸造を
終え、「宝島」という銘柄でサケの販売を始めたが、住田はすぐに冷蔵の酒蔵を建て
る。
これはのちに日本の多くの蔵元で採用されることになる先駆的な醸造設備だ。
他にもホノルル日本酒醸造会社は、ステンレスタンクの採用、四季醸造、カリフォル
ニア米の使用、「泡の少ない酵母」(タンクの使用効率を30%も改善する)の発見な
ど、多くの先進的取り組みを行った。「泡なし酵母」は、現在多くの日本の蔵元で使
用されている。

 

(訳者注:ホノルル酒造製氷会社にいた二瓶孝夫―国税庁醸造試験所出身。アメ
リカ、ブラジルの清酒に多大な貢献。最後はホノルル酒造製氷の副社長を務める。
1994年ハワイで没―が1959年に分離したのは、「泡なし酵母」ではなく「低泡酵母」
であろうとの発表-醸造協会誌2010年4月「泡なし酵母の歴史」-がある。著者の英
文の原文では「泡の少ない酵母」と「泡なし酵母」を使い分けているが、非常に正し
い表現であろう。)

 

 

●▲■ ●▲■ ●▲■ ハワイのそのほかのサケ醸造所

 

1914年までに住田は年30万ガロン程度(=約1,100KL、約6,000石)のサケを生産する
ようになり、1920年までにはハワイでもっとも成功した実業家となる。しかし、彼の
会社のみがサケを独占製造していたわけではない。
最初の競争相手は住田の1年後、1909年1月にK.コイズミが設立した
Hilo Sake Brewery(ヒロ酒造、または、ヒロ酒精)で、2月から醸造を開始した。
1913年5月には、Hawaii Seishu Kwaisha, Ltd(布哇清酒会社、または、布哇酒造)
が設立され、この会社は開業した月に1万ガロンを造る計画だった。
(訳者注:社名の英文表記は原文のまま。社名の和文表記やその漢字表記は、訳者の
知る限りで過去の日本語の文献に現れたものを使用、または英語表記と異なるものは
併記とし、日本文献で見たことのない社名は適宜に和訳した。以下同じ。)

 

これらの醸造所では、東京高等工業学校の清酒醸造学科を卒業したK.オオタケという
人物が監修を行った。1917年9月時点でハワイのサケ醸造会社は3つで、約300人を
雇用、11の卸業者がそのサケを販売していた。なお、樽の木質の問題を避けるため、
酒樽には日本から杉材を輸入していた。

 

1917年8月にハワイの4つのサケ醸造所に対して行われた調査によれば、4社すべてが
日本から輸入した米のみを使っているとしている。一方、それ以前の新聞記事に「ホ
ノルル日本酒醸造会社は1909年から日本の米とハワイの米の両方を使用」とある。つ
まり、ハワイ産の米の使用は1909年以降1917年までに中止されたのだろう。
この調査には、月あたりの米使用量が記載されていて、ヒロ酒造が3万6,168ポンド、
布哇清酒会社が10万ポンド、Honolulu Brewing & Malting Co.(ホノルル醸造・モル
ティング会社)が4万2,000ポンド、そしてホノルル日本酒醸造会社が15万ポンド
(約45トン)となっている。
(訳者注:Honolulu Brewing & Malting Co.という会社は、ハワイの清酒製造関連会
社としては、訳者の知る限り日本の文献で紹介されたことがない、初出の企業名。)

 

 

●▲■ ●▲■ ●▲■ サリチル酸がサケ醸造所設立を後押し?

 

1908年、日本から輸入されるサケは、関税以外の大きな問題に直面した。しかしなが
らこのことが、米国内でのサケ醸造所設立の後押しになった可能性もある。1906年6
月、Pure Food & Drugs Act(食品・飲料純粋法)が成立し、「粗悪」な食品・飲料
の州をまたいだ取引が禁止となった。2年後の1908年4月、連邦政府はサリチル酸を含
むサケを「粗悪」として、輸入を全面禁止すると発表した。
サリチル酸は、当時サケには一般的に使用されていた保存料だった。多く摂取すると
毒性があるが、アーティチョーク、カリフラワー、ブロッコリなど多くの食品にも自
然に含まれるものだった。

 

輸入されるサケは全て、サリチル酸の化学分析を受けるまで通関できなくなった。サ
ンフランシスコでは数百の酒樽が検査され、9割はサリチル酸を含有する粗悪飲料と
判定された。ほとんど全てのサケはサリチル酸を含んでいたので、それ以降のサケ輸
入は原則的に禁止となった。サケ輸入業者は抵抗したが、一方で、日本側でもすでに
サリチル酸を保存料として使用することが問題として取り上げられていた。

 

サケ産業の業界では永らく、サケの変質を避け保存性をあげる方法を模索していた
が、1880年代に東京大学で医学を教えたドイツ人のお雇い外国人教師、オスカー・コ
ルシェルトのアドバイスによって、サリチル酸の使用を開始した。しかしその後最終
的には人体への有害性の疑いでサリチル酸の使用は問題視され、1903年9月の内務省
令「飲食物防腐剤取締規則」でサケへの使用は禁止される。しかし、現実には1911年
10月までサリチル酸の使用は続いていた。
(訳者注:実際にはこの内務省令は清酒業界の強い反対で清酒への適用だけは延期さ
れ続け、清酒業界全体としてサリチル酸を完全に使わなくなったのは1969年。)

 

以上のように、サリチル酸への問題意識や対応はアメリカよりむしろ日本が先行して
おり、酒蔵各社はサリチル酸以外の保存方法を探し出そうとしていた。
保存料なしのサケを初めて実用化したメーカーは、380年近い歴史を持つ月桂冠と思
われる。大阪衛生試験所の試験証明をえて「衛生無害・防腐剤ナシ」の封緘紙を貼り
付けたサケの販売を始める。

 

 

●▲■ ●▲■ ●▲■ 禁酒法、ポスト禁酒法、そして20年以上の空白

 

禁酒法施行(訳者注:全米では1920年だが、ハワイは1918年から)の時点で、アメ
リカには9~20のサケ醸造所があったと思われるが、ほとんど情報がない。多くは
ごく短期間だけ操業したようで、主要所在地はカリフォルニアとハワイであった。

 

禁酒法がサケ醸造を停止させ、いくつかのサケ会社の閉鎖を促した。ホノルル日本酒
醸造会社は数少ない例外のひとつで、彼らは禁酒法のあいだ、氷を製造して会社の生
き残りをはかった。既述の通り、この会社の定款には「製氷」と書かれていたが、あ
たかも最初からこの事態を予期していたかの如しである。
禁酒法施行時代の1921年3月には、ワシントン州エバレット(シアトルの北20kmの
街)近郊で、「二人の連邦禁酒法捜査官が不法なサケ醸造を急襲、3つのサケ醸造設
備が発見され、相当量のサケを押収、7人を逮捕」という記録もある。

 

1933年12月、禁酒法が終わると、ホノルル酒造製氷会社(訳者注:禁酒法時代に、ホ
ノルル日本酒醸造会社からHonolulu Sake Brewing & Ice Co.ホノルル酒造製氷会社
に社名変更)はサケ醸造を再開、「宝正宗」を含む新しい銘柄を追加した。
そのほか、Hilo Brewing Co. ヒロ醸造会社(1937~1942年)、Maui Sake Brewery
Co.,Ltd.馬哇酒造株式会社(1935~1942年)が開業している。
また、Nichebei Shuzo Kabushiki Kaisha, Ltd. 日米酒造株式会社(1935~1942年)
は、第二次世界大戦後は名前が変わりKokusui Co., Ltd. Brewery 国粋株式会社醸
造所(1948~1957年)として存続したと思われる。Fuji Sake Brewing Co. 富士酒
造株式会社は1934~1942年の間操業し、戦後は1948~1965年にかけて存続した。

 

禁酒法が終わった後、カリフォルニアにも多くのサケ醸造所が現れた。ロサンジェル
スのAmerican Sake Brewery Co. アメリカン酒造会社(1934~1935年)は、1934年6
月期に5,146ガロンのサケを生産。
そのほか、ロサンジェルスには、Central Sake Brewing Co. セントラル酒醸造会社
(1948~1950年、訳者追記、所在地は2種の資料があり、1142, South Central Ave、
または、140-42, South Central Ave)、California Sake Brewery 加州清酒醸造
(1947~1949年)、Los Angeles Sake Brewing Co. ロサンジェルス酒造会社
(1947~1949年)があった。
サンノゼにはSanJose Sake Breweryサンノゼ酒醸造 (1934~1935年、所在地は
291 Jackson Streetと7th Streetの交差点の北側の角)、Nippon Sake Brewery
日本酒醸造 (1935~1940年)があった。
(訳者注:このパラグラフおよび次のパラグラフの、西海岸のサケ醸造所の社名
の中には、訳者の知る限り日本の文献に登場したことのないものが多数含まれる。
新発見だと考える。)

 

サンフランシスコにもサケ醸造所が現れた。Aiji Matsuo Brewery マツモト・アイジ
醸造所(1934~1937年)はその後、Matsuo Sake Brewing Co. マツモト酒醸造会社
(1937~1941年)に引き継がれたようだ。Katsuzo Shioji シオジ・カツゾウ(1934
年)はおそらくSan Francisco Sake Brewery 桑港清酒醸造(1934~1935年)に、
California Sake Brewery Co. 加州清酒醸造会社(1934~1935年)は
Nippon Sake Brewery Co., Inc. 日本酒醸造株式会社(1935~1937年)に、それぞ
れ引き継がれた模様。
戦後は、コロラド州デンバーにも、Colorado Sake Brewery傳馬酒醸造会社
(1947~1949年)ができた。

 

ハワイのサケ醸造所では、第二次世界大戦開始時点で合わせて年産2百万ガロン(=
約7,500KL、約4万2,000石)のサケ近いサケを醸造していたが、その後、食料以外に
米を使用することを禁じる法律が制定された。つまり、サケ醸造は違法となった。
この時期、ホノルル日本酒醸造会社は醤油生産で生き残りをはかった。銘柄は「マル
マサ醤油」、後に「ダイヤモンド醤油」となる。(訳者追記:醸造協会誌1978年第73
巻6号「ハワイにおける日本酒・味噌・しょう油の歴史」二瓶孝夫、によれば、1937
年のハワイ5社の生産量合計は約2万2,000石)

 

戦争も禁酒法も終わり、ホノルル酒造製氷会社はサケ醸造を再開した。彼らは1986年
には宝酒造の傘下となったが、1989年まで醸造所を維持していた。醸造所が閉鎖され
た後、残念なことに、住宅に通じる道路を作るために建物は壊された。
ホノルル酒造製氷会社を唯一の例外として、アメリカにおけるサケ醸造は
1950年代以降1970年代まで、20年以上の長い空白の時代となる。
1970年代に再び、カリフォルニアを基本的な拠点として次のサケ醸造所開業の時代が
始まる。これについては、別の機会に語ることにしたい。

                               (完)

 

                 text = Richard Auffrey
translation = Tsuneo Kita

 

               Acknowledgement

I would like to express the deepest appreciation to Mr. Richard Auffrey. 
I believe this report is very valuable for Sake industry history researchers
and includes many articles which are likely unknown in Japan.
(Tsuneo Kita)

 

メルマガではいくつかのパラグラフなどを省略した「ダイジェスト版」を掲載した。
「全文の和訳」は下記参照。

●▲■アーカイブ資料

 「アメリカに於けるサケ醸造の歴史 by Richard Auffrey」(14ページ)
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/Sake_History_US_Auffrey.pdf 

 

●▲■英語の原文は以下

http://passionatefoodie.blogspot.jp/2015/04/an-expanded-history-of-sake-brewing-in.html 

 

 

 

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さて、情報紹介です。
前回に続き、今回もメルマガ本文に関係あるものを選びました。

 

 ご紹介情報●1▲「海外における清酒・焼酎生産の100年の歴史」(21ページ)
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/sake_history.pdf 

アメリカ、韓国、台湾、ブラジルなど、海外のサケ製造者の歴史。

 

 

 ご紹介情報●2▲「サンフランシスコ・サケ事情」(5ページ)
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/sake_SF_2013.pdf 

前号紹介の「LAサケ事情」とあわせると、カリフォルニア・サケ事情をほぼ網羅。

 

 

 ご紹介情報●3▲「世界にはこんなサケ(清酒)もある!」(23ページ)
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/least_known_sake.pdf 

世界マーケットには、実にいろいろな「知られざるサケ」があります。

 

 

 

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http://www.kitasangyo.com/Archive/mlmg/BN_top.html

2002年5月の創刊以来のバックナンバーを収録しています。
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2006年4月の以来、きた産業のトピックスを写真で収録。
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