●▲■ きた産業 メルマガ・ニューズ vol.218 ●▲■
発行日:2016年5月23日(月)
■アルコール飲料産業のためのクロスオーバー情報■
発行:きた産業株式会社 http://www.kitasangyo.com
------------------< 目 次 >------------------
●▲■ サケ・ウォッチングin韓国の釜山 その2 <歴史編>
●■ 「日本国外で、最も早くサケ醸造が行われたのは釜山」
●■ 釜山の「温泉併設型・地ビール」
●■ 帰路で立ち寄った「壱岐の麦焼酎」、蒸留技術の伝来ルート
text = 喜多常夫
ご紹介情報●1▲ 「アメリカ人はどんな酒ラベルを好むか」
ご紹介情報●2▲ 「AZK」:安全+斬新デザインの一升壜口キャップ
ご紹介情報●3▲ 「G-TRON 12-3C」:2000cph缶ビール充填機
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
韓国第二の都市、釜山(プサン)にいった話の続き。
前回は「サケ(日本酒)観察」を書きましたが、
今回は「釜山における清酒製造の歴史」のことなど書きます。
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
●▲■ 「日本国外で、
歴史上、最も早くサケ醸造が行われたのは釜山」
海外における清酒醸造の歴史は意外と古い。
朝鮮半島以外で早くから清酒造りが始まった国は以下の3つ。
●アメリカ:1901年
■1908年創業、ハワイの「ホノルル日本酒醸造」
がアメリカ初のサケ醸造所、とよく言われるが、
実は、メルマガvol.206記載の通り、
■1901年創業、カリフォルニアの「Japan Brewing Co.」
が最初。
●台湾:1910年前後
■1912年創業、「埔里社酒造」社
■1914年創業、「日本芳醇」社
などが初期清酒製造業者としてわかっている社名。
それ以前から邦人が「再生清酒」を造ったそうだが社名など不明。
●ブラジル:1938年
■1938年創業、サンパウロ近郊の「東山農産加工」社
が最初の清酒製造会社で、現在も盛業。
岩崎弥太郎(三菱の始祖)が個人で設立した会社で、
東山(とうざん)は岩崎の屋号。
以上のとおり、アメリカ、台湾、ブラジルで清酒造りが始まったのは
20世紀(1901年以降)である。
一方、朝鮮は19世紀。
朝鮮で最初に清酒造りが行われたのは釜山で
少なくとも1880年代にさかのぼれる。
「日本国外で、
歴史上、最も早くサケ醸造が行われたのは韓国の釜山」
なのです。
清酒製造業者の数もまったく違う。
アメリカ、台湾、ブラジルでは数社~せいぜい十数社だったのに対し、
朝鮮では終戦時点で、
釜山だけで12社
朝鮮全土(今の韓国領と北朝鮮)では119社
もの清酒蔵元(ほとんどすべて邦人経営)があって、
「朝鮮酒造組合中央会」という組合組織もありました。
- - - - - - - - - - - - - -
■ 釜山の「福田醸造場」
日本が朝鮮を統治したのは、
「韓国併合」(1910年)から終戦(1945年)までの35年。
日本では「日本統治時代」、
韓国では「日帝時代」や「日帝強占期」と呼ぶ。
しかし、釜山には、
韓国併合のはるか以前から日本人居留地、あるいは租界が存在し、
多数の民間日本人が居住して商取引を行っていた。
これも「日帝強占期」の範疇である。
現在の観光地の「龍頭山」や「チャガルチ市場」からすぐの場所に、
「釜山近代歴史博物館」がある。
主に、釜山における「日帝強占期」の収奪の歴史を伝える博物館で、
その展示は日本人として身につまされる。
一方、戦前の日本人の活動の展示は興味深い点も多い。
写真や資料だけでなく、日本人の店舗が再現されている。
清酒の関係では唯一、
「福田醸造場」の陶器製酒樽と店舗の写真の展示があった。
「釜山近代歴史博物館」のすぐ近くにあった蔵元である。
この「福田醸造場」が清酒醸造を始めたのは、
1883年(明治16年)であることがわかっている。
終戦の1945年(昭和20年)まで62年間、釜山で清酒を造り続けたので、
戦前の朝鮮でもっとも長期間存続した蔵元である。
醤油醸造も行っていた。
福田醸造場より1~2年早く酒の醸造を始めた人の記録もあるが、
これらはすぐ廃業したようです。
私は、
ある程度の規模で相当期間存続した海外の清酒メーカーとして
「釜山の福田醸造場は世界最古」と考えています。
(釜山の酒造業の歴史について
情報をお持ちの方は、是非ご連絡ください。)
- - - - - - - - - - - - - -
■ 「倭館」の酒屋
さらにさかのぼれば、、、
釜山には、明治政府が日本人居留地を作る以前の江戸時代に、
「倭館」と呼ばれる日本人居住地域があった。
対馬藩が所管して、日本を代表して貿易、外交を行っていた。
塀で囲まれたなかに対馬の男性ばかり500人くらいが暮らしていて、
「そば屋」「豆腐屋」、そして
「酒屋」もあった。
この酒屋は日本から運ばれた「清酒の販売」のほか、
おそらく「日本酒の醸造」も行っていたと考えています。
それが実証できれば、釜山における日本人の清酒作りは
1700年代にさかのぼるのかもしれません。
(今回の釜山旅行は、実はこの情報収集が目的のひとつ。
なかなか思う資料が集まりませんでしたが、
近いうちに、レポートを作りたいと思っています。)
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
以上のような「釜山に於ける清酒製造の歴史」、
それに、次に書く「温泉併設型・地ビール」などの情報は、
以下の写真資料をみながら読んでもらうとわかりやすい。
●▲■ アーカイブ資料
「サケ・ウォッチングin韓国の釜山(プサン)、歴史編」
(4ページ+付録2ページ)
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/sake_history_Busan_2016.pdf
なお、付録ページには
「豊臣秀吉の朝鮮侵攻に関するエピソード」
(韓国・慶州の「仏国寺」と、日本・京都の「耳塚」)
を書きました。
何世紀も前の秀吉のことを忘れない韓国人を
「執念深い」とか「国民性」とか言う人もいるけれど、
秀吉の傷跡は、今も目の前にたくさん残っています。
「韓国人が豊臣秀吉(と、伊藤博文も?)を忘れない」のは、
「日本人が広島・長崎を忘れない」ようなものかもしれない、
という意見を聞きました。
歴史を語るのは難しく、語弊があるかもしれませんが、
韓国の史跡を見た後では、当を得ていると感じます。
なお、日本統治下の朝鮮における酒造の歴史については
5年ほど前、ソウルに行ったときにこんな資料も作りました。
「光化門」も日本統治下で移設されて以降変遷をたどり、
2010年にようやく元の位置関係になった事情など書いています。
●▲■ アーカイブ資料
「日本統治下の清酒・焼酎」
+「朝鮮酒造史」+「光化門の変遷」
(4ページ+追加1ページ)
http://www.kitasangyo.com/Archive/Data/in_Korea.pdf
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
●▲■ 釜山の「温泉併設型・地ビール」
世界的なクラフトビールブームの潮流にたがわず、
韓国もクラフトビール醸造所がたくさんできているそう。
釜山中心部から地下鉄ですぐの、
東莱(トンネ)という温泉町に
「ホンチョン・ブロイ」という醸造所があると聞いて、
ビールを飲みにいった。
「ホテル農心(ノンシム)」という大型温泉旅館に
併設されたブルワリーレストラン。
ホテル農心に付属するスパ施設の名前が「虚心庁(ホンチョン)」で、
その名前がブランド名になっている。
温泉の湯上り客がターゲット。
日本で言えば、
ゆふいんビール(大分)や、オラホビール(長野)のコンセプトだが、
ゆうに500席以上あって、規模がとても大きい。
ピルス、ヴァイツェン、デュンケルの3種類で、
サンプラー(3種のみ比べ)がないのが残念。
大きなジョッキでヴァイツェンとデュンケルを飲んだが、
なかなかの出来栄えだった。
なお、醸造設備はドイツのキャスパリ・シュルツ。
- - - - - - - - - - - - - -
東莱温泉は、歴史ある由緒正しい温泉。
1898年に日本は朝鮮と賃借契約を結び(結ばせ)、
日本人専用の温泉旅館を作った。
当時の東莱は日本語読みの「とうらいおんせん」。
1909年には釜山から温泉場までの市電も開通。
戦前の日本人の朝鮮旅行では人気スポットだったそうだ。
クラフトビールのホテル農心も、
もともとは日本人の富豪、豊田福太郎という人が作った
「蓬莱館」という旅館だったそうだ。
日本とは、いろいろな場面で、
様々な歴史的つながりがある。
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
●▲■ 帰路で立ち寄った「壱岐の麦焼酎」、蒸留技術の伝来ルート
釜山からの帰路は飛行機でなく、
JR九州のジェットフォイル(高速船)で、
対馬(つしま)・壱岐(いき)と、
「アイランド・ホッピング」しながら帰国した。
参考までに、先に紹介した資料の「付録2」に、
15~18世紀の西洋古地図に見る対馬と壱岐を載せている。
対馬は、
先述した「倭館」を管理していた対馬藩(宗氏)の島。
歴史的に釜山と関係がとても深い。
現在、1軒の清酒・焼酎兼業の蔵元がある。
壱岐は、
対馬藩とちがって平戸藩(松浦氏)の管轄だが、
古来からの日本と朝鮮半島の往来ルート上の島なので、
やはり、釜山と縁が深い。
現在、7軒の麦焼酎の蔵元がある。
人口は、昔から壱岐より対馬がずっと多いが、
蔵元数は、昔から対馬より壱岐が多かった。
対馬は山が多くて耕作地がほとんどない。
壱岐は平地に恵まれ、昔から米や麦の栽培がさかん。
酒造りの原料の入手しやすさの差だろう。
壱岐にも、昭和時代まで清酒(と焼酎の兼業)蔵元があった。
今また焼酎蔵元の1軒が、新たに清酒造りに取り組んでおられる。
対馬の宿で地元の清酒を飲み、
壱岐の宿で地元の焼酎と清酒を飲んだが、とても旨かった。
「現地で飲む酒は旨い」の法則は概ねどこでも当てはまるが、
特に「島で飲む島の酒」にはよく当てはまるのだろう。
沖縄で飲む泡盛も旨かったことを思い出す。
- - - - - - - - - - - - - -
焼酎の蒸留技術の日本への伝来は
「シャム→琉球→薩摩」
という節が有力で、それは正しいのだろうけれど、
薩摩から壱岐に伝わるというのは難しそうに思う。
釜山から島伝いに壱岐にやってくると
少なくとも壱岐焼酎については、
「中国→朝鮮→壱岐」
というルートに、より現実感を感じざるを得ない。
日本人は釜山にいって日本酒を造る一方で、
蒸留技術を学んで帰った、または、
朝鮮人が蒸留技術を日本に伝えたのではないかと思う。
16世紀以降の朝鮮半島と日本の関係は、
濃密であったことを実感した旅行だった。
text = 喜多常夫
▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
さて、情報紹介。
●▲■ ご紹介情報 その1:e-アカデミー情報 ●▲■
「アメリカ人はどんな酒ラベルを好むか」(その1)
http://www.kitasangyo.com/e-Academy/b_tips/b_tips_backnumber.htm
先日発行した、当社の「酒うつわ研究」に掲載された文章。
アメリカ在住の西川貴子さんの論文。
●▲■ ご紹介情報 その2:KKディビジョン ●▲■
「AZK」:安全な開封+斬新デザインの、一升壜口対応キャップ
http://www.kitasangyo.com/Products/Data/closure/AZK.pdf
好評につき、このたび生産設備を増強しました。
汎用デザインのキャップも準備しています。
http://www.kitasangyo.com/Products/Data/closure/AZK_hanyo.pdf
ご採用事例も増えています。
http://www.kitasangyo.com/Archive/PDA/PDA_245.pdf
http://www.kitasangyo.com/Archive/PDA/PDA_244.pdf
●▲■ ご紹介情報 その3:ROOTSディビジョン ●▲■
「G-TRON 12-3C」:2000cph缶ビール充填機
http://www.kitasangyo.com/Products/Data/machine/G-Tron.pdf
クラフトビールの「びん」と「缶」は、
ともに今後の成長商品です。
ルーツ機械研究所のビール壜詰め機・缶詰め機は
全国のクラフトビール醸造所の過半で使用されています。
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
__________________________
●▲■バックナンバー閲覧可能!「メルマガ・クロニクル」
http://www.kitasangyo.com/Archive/mlmg/BN_top.html
2002年5月の創刊以来のバックナンバーを収録しています。
__________________________
●▲■ブログもやってます!「スローなブログ」
http://blog.goo.ne.jp/kita-slow_blog/
2006年4月の以来、きた産業のトピックスを写真で収録。
__________________________
●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■ ●▲■
紹介商品に関するお問い合わせは、営業部まで。
西日本担当:大阪営業部
tel.06-6731-0251 mailto:osaka@kitasangyo.com
東日本担当:東京営業部
tel.03-3851-5191 mailto:tokyo@kitasangyo.com
__________________________
●本メールがうまく表示されない場合 ●登録内容の変更や、
配信停止希望の場合 ●メルマガに関するご意見・ご要望など、
は、メールアドレス:mailto:info@kitasangyo.com まで 。
__________________________
このメルマガは、「ご登録いただいたお客様」、
及び「当社営業担当で登録させていただいたお客様」に、
お届けするサービスです。
ご要望があってもお届けできない場合がございます。
発信専用アドレスから送付しております。このアドレスに返信
いただきましても回答できませんので、予めご了承ください。
__________________________
記載された記事を許可なく転送・複製・転載することを禁じます。
Copyright 2002-2016. Kita Sangyo Co., Ltd. All rights reserved.
きた産業株式会社 ニューズレター担当:企画・開発グループ
__________________________